非常に興味深い記事を見つけた。

宗教は人工知能を生命と認められるのか – シンギュラリティと宗教

生命とはなにかという問いは長年の間、議論されてきた命題だ。 生物学的定義では代謝と自己複製を行う個体といい、イデア論と物質主義では真逆の定義をしている、また宗教によってさまざまな解釈があるのは衆知のこと。

人工知能を作るということは人類にとっての大きな課題だった。コンピューターを生み出した人類はそこに生命を宿そうとした。プログラミングによって無機質な物体に知能知性を宿そうとした。

悪夢をつくるグーグルAI:名作映画を「悪夢の映像」に グーグルは人工知能について研究しまくっている。未だ到達してない領域であるが、遠くない将来には実現するのかもしれない。

シンギュラリティという言葉を知っているだろうか?「強い人工知能」の誕生により、今まで人類が行ってきた科学的予測などはまったくコンピューターに追いつかなくなり、代わりにコンピューターがポスト・ヒューマンとして科学技術を進歩させていくという考えだ。そんなシンギュラリティ後の世界が誕生すれば、人類が持っていた宗教観の生命の定義はどうなるのだろう。

僕は改めて、仏教の何か言ってるようで何も言ってない禅問答のような考え方は好きだなぁと感じた次第である。