機械が人間のような知性を備えることで想像のつかないレベルで世界が一変する。それは徐々に変化してそうなるのではなくてある一点を通り過ぎることで加速度的に変化する。それをシンギュラリティ (技術的特異点) と呼ぶ。

ここ最近、またAIのブームみたいなのが来ているのではないか。恐竜型の人工知能搭載子供向けおもちゃは IBM Watson にネットワーク接続され子どもの状況に応じて適切な反応を返す。他の子どもの質問などはクラウド上にデータが保存され共有される。これを単なるデータベースの集合体からの検索処理と捉えるか強いAIの序章と捉えるかで考え方ががらりと変わる。

人間のもつ「思考」は過去の経験から未確定の未来を予測することができる。これを思考と呼ぶならば機械学習の進歩によっては人間のような思考をもつ機械の登場はそう遠くないだろう。

「感情」はどうだろうか。合理的な「思考」は実現可能なように思えるが、不条理でカオスで訳の分からない「感情」を機械に持たせることはできるのだろうか。人間はただのプログラムされた動きの機械に対してさえ情を持つ。BigDog が蹴られて可哀想だと思う。これを機械に植えつけるのは相当難しいだろう。

「わたしとは何か?」

シンギュラリティを超えた世界では、人間が抱いていた長年の哲学的問いに対してたやすく答えてくれるのだろうか。