従来の教育システムから飛び出した子

興味深い記事がありましたので適当に翻訳しつつ見解を述べます。

This Is What Happens When A Kid Leaves Traditional Education

以下リンク記事の意訳

ローガンは通常の教育を受けない変わりにホームスクール (注釈 ホームスクールとは?) で教育を施された13歳の少年だ。ただホームスクールを受けたというだけでなく彼は彼自身で興味関心の赴くままに自分を教育しているのだ。それは従来の教育方法のやり方ではありえない。ローガンは言っている。大きくなったら幸せで健康でありたいと。2013年のTEDトークにて、どうやって目的を達成すればいいかを教育をハッキングしながら実践してきたことについて述べている。

教育は社会に出て行くのに必要な基礎を教えられていると考えられているが、ここでいう社会で必要な力というのは言われたことを言われた通りに行う大企業にぴったりな人材育成に他ならない。現在の教育の基本方針というのは、創造性や枠にとらわれない発想をする人々の育成ではなく、より服従し従順な人材の育成である。

これが意味することは通常の教育というのは個人の成長にフォーカスしたものではないということだ。2007年のTEDトークで発表した「教育は創造性を滅ぼす」で詳しく述べられている。この動画で多くの人が教育について再考し、ホームスクールを行う家庭も増加した。

アメリカでは現在約3.8%の子どもが、カナダでは約1%がホームスクールを受けている。この数字は増加すると考えられている。

私の見解ではホームスクールでは創造性がより磨かれると考えている。また現在の教育システムではなかなか出てこない本当に自信を持った子どもたちも生まれてくるだろう。では全員がホームスクールで習うべきかというとそうではない。ただホームスクールの方がチャンスは増えるのではないかと考えている。

動画では13歳の少年が自信たっぷりに、彼自信、何をどうやって学んできたのかを語ってくれています。彼の言葉で印象的なのは「大人になったら幸せになりたんだ」というシンプルな主張でした。結局誰も将来のことなんて分からないのに、良い学校を出て大企業に入って良い家庭を築くというのが幸せであるかのように教育されることに対してそうじゃないでしょ?ということを彼は語っています。

日本のホームスクールの現状

改めてホームスクールとは何か簡単に言っておくと、親や地域が協力して子どもの自主性を尊重し育成を見守るということですね、それには学校での教育も含まれていて必ずしも学校に行かずに家で教育を施すことをホームスクールと呼ぶものではありません。 日本の現状はこちらの資料が詳しいです。ホームスクールを行っている家庭を正確に把握することは困難ですが2-3千人ほどいると言われています。ホームスクールを行うことを決めたきっかけは子どものいじめや不登校の問題から、親自身が親身になって考えた結果、ホームスクールという選択肢を選んだ場合がほとんどのようです。ホームスクールの是非についてはここでは考えませんが、親の見解、教師側の見解ともに納得いくものでありどちらが良いとか悪いとかいうものではないと思います。ただ一つ言えるのは決して簡単なものではなくそれこそ親の深い愛情があって初めてうまくいくものだといえます。

創造性は誰にでもある、ただみんなそれを奪いとっている

『Does Education Kill Creativity?』 でも言われていますが、子どもは誰しも創造性というのを持っていて大人はそれが何なのか分からないから知らない間にその芽を摘み取っているんですね。もし子どもがミュージシャンになりたいって言ったらあなたは何と答えますか?あるいは絵を描いていたいとかプロ野球選手になりたいとか、考古学者になりたいとか、まぁ何でもいいんですけど、なんて答えるでしょうか?多くの人はそれに反対する理由を述べるんじゃないでしょうか。それも子どもの幸せを願ってのことだと思いつつ・・・。 僕の小さい頃の夢は科学者になることでした。よく覚えてないんですが、僕は小さいころ本当にたくさんの質問をして母親を困らせたようです。誰もが考えるテンプレートな質問もしてました、「なんで空は青いの?」ってね。科学に対する興味はずっと続いていて大学に入るまでは夢を持ち続けていました。まぁ今の僕は科学者になっていないわけですが、それでも幸せですよ。ちなみに自由な時間とお金があればもう一度学問の世界に飛び込んでみたいと今でも思っています。

自主性を重んじた教育を行うって言うのは簡単なのですが、これかなり難しいと思います。最終的には親や教師の考えのバイアスを強く受けるので。 創造性を奪わないようにするためにできることって、子どもにたくさんの経験をさせて、その中で彼ら自信が選んだ選択の行く末を、たとえそれが失敗に終わったとしても、暖かく見守っていくことが大事なんだと考えます。